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スポーツ機能要望が最多
広島市は一日、市民球場(中区)の跡地利用の基本方針に関して寄せられた意見の分析結果をまとめた。
解体反対や現状保存を求める声は一割強にとどまる一方、市が方針に盛り込んでいないスポーツ機能を跡地の役割に求める声も多かった。
九月十六日から十月十日まで募集し、六百十七件が寄せられた。さらに公聴会などで聴取した意見を加えた計六百四十二件について内容を整理した。
市の基本方針は跡地を東西の「にぎわい」「緑地」ゾーンに分け、劇場など七つの機能を検討する。
この方針への意見は五百二十四件寄せられ、「現球場の解体に反対」「現状保存を望む」の意見は計六十一件(12%)にとどまった。
部分的に残して活用するよう求める意見は百六十一件(31%)だった。
跡地の機能では、複数回答で九百三十八件の意見があった。「スポーツ」を求める声が二百七十五件(29%)と最多でサッカー専用スタジアム、野球場、武道場などがあった。
市が検討する「劇場・文化発信」が百六十五件(18%)、「緑地」が百六十件(17%)「平和発信」が百十五件(12%)。
展望タワーや遊園地など市の方針にない「アミューズメント機能」も百四件(11%)あった。
市は跡地を所有する中国財務局や隣接地から移転を検討している広島商工会議所と協議を進め、年内に利用計画を策定する。(東海右佐衛門直柄)
被爆地発のビッグニュースである。広島市と長崎市が、2020年の夏季五輪招致の検討に共同で乗り出すことになった。
両市が主宰する平和市長会議は「20年までの核兵器廃絶」を提唱している。平和の祭典としての五輪を誘致できれば、国際世論を盛り上げる面で大きな意義がある。「核なき世界」を目指す運動にも弾みがつくだろう。
ただ、複数都市による共同開催が認められるかどうか現時点では分からない。財政問題も含め、実現に向けて多くの課題がある。
やや唐突感もある招致検討の発表。市民や広く国民の合意を得ながら機運をどう盛り上げていくのか。それが最初の関門になる。
きのうの会見で、秋葉忠利広島市長は、20年に核兵器のない世界をぜひ実現し、それを五輪で祝おうと提案した。核廃絶が間に合わなかったとしても、その動きの加速につながる、と田上富久長崎市長は期待を表明した。
五輪憲章は「平和でよりよい世界の建設」をうたう。オバマ米大統領のノーベル平和賞受賞が決まるなど、核廃絶への機運も盛り上がっている。被爆地への五輪招致の検討は、タイムリーである。
一方で、昨年の北京大会のように五輪の巨大イベント化が目立つ。開催地選びは、国の威信や商業主義などさまざまな思惑が入り交じる国際政治の場だ。広島、長崎への招致を実現させるためには、五輪のあり方を変えるくらいの意気込みが要るだろう。
まず、平和の輪を広げるという開催目的に徹底的にこだわることだ。国益にとらわれず、地球市民の発想から、人類の大目標である核廃絶への共感を呼び起こしていく。そんな運動こそが、被爆地にふさわしい。
さらに、規模の追求でなく、スポーツを通じ国を超えた友情と連帯をはぐくむことを優先する簡素な大会を目指すべきだろう。
広島、長崎市は志を共有する他都市にも呼びかけ、招致検討委員会を近く設置するという。五輪を単独で開ける大都市は限られる。複数都市での共同開催ができれば、単独開催が通例だった五輪に新風を吹き込むことになる。
16年五輪の招致ができなかった東京都の場合、住民の支持が伸び悩んだことが最後まで響いた。
広島、長崎市民から見れば、財政負担に耐えられるのか、との不安が大きいだろう。とりわけ広島市では、1994年のアジア大会の財政負担がその後も尾を引いている。資金の調達は重要な検討課題であり、政府の支援が得られるかどうかも鍵を握る。
両市長の会見では、資金面も含め「今から検討」という答えが目立った。国内の候補都市の決定が1年後に迫り、熟度は低くても発表に踏み切ったようだ。
なぜ被爆地で五輪か、不安をどう解消するか。両市長は地元住民や国民さらには世界に向けて語り続け、意見に耳を傾けてほしい。新発想の五輪は、開かれた議論の中でこそ生まれるだろう。
◆第87回全国高校サッカー選手権決勝 広島皆実3―2鹿児島城西(12日・国立競技場) 広島皆実が鹿児島城西を3―2で下し、初優勝を飾った。同点に追いつかれた後半21分、FW金島悠太(3年)が頭でこの日2点目となる勝ち越し点を挙げ、終盤の反撃を耐えきった。広島県勢としては67年度大会の山陽以来、41年ぶり9度目のV。
試合終了の笛とともに倒れ込む相手を横目に、広島皆実イレブンが両拳を突き上げた。控え選手も全速力でピッチに駆け込み、チーム全員で初優勝の喜びを分かち合う。チーム初、県勢41年ぶりの優勝に、選手の手で3度宙に舞った就任2年目の藤井潔監督(35)は「何とも言えない。選手の頑張りに感動した」と涙した。
前半20分、鹿児島城西・大迫勇に先制点を許した。FW金島、MF谷本のゴールで逆転。2―2とされた後半21分には、金島が右からのクロスを頭で合わせて、この日2得点目で勝ち越し。この日の朝、3年生21人中メンバーに入れなかった4人からメールで受けた「オレたちは死ぬ気で応援する。ピッチはまかせた」の激励に、見事に応えた。
5年前から毎年4月と8月に広島ユースが主催し、全国の強豪校との親善試合を取り入れた。鹿児島実、帝京、作陽などと対戦。07年まで指揮を執った鯉迫勝也前監督(48)は「県外のチームと戦って、皆実だけでなく広島全体のサッカーが向上した」と評価。選手権には98年度大会で初出場すると、11年間で8度出場と、確実に階段を上った。
しかし、2年連続で8強止まり。06年度大会は初戦から3戦連続無得点ながらPK戦で勝ち上がるなど、堅守を誇りながらも得点力不足は否めなかった。1年時から全14試合にフル出場した松岡祐介主将(3年)も「点を取って勝ちたい」と強く感じてきた。堅い守備を前提に、ボールを持ち続けて攻撃を仕掛けるサッカーを追求。今大会は6試合で3失点と安定した守りを見せ、決勝では終始ボールを支配して3得点。6試合行ったチームとして、史上最少9得点Vに結びつけた。
目標として掲げた「堅守強攻」が結実した指揮官は「うれしいけど逆に怖い。これからが更なる戦い」と気を引き締めた。若き指揮官の守り勝つサッカーが、かつて埼玉、静岡とともに御三家と呼ばれたサッカー王国・広島の復活への第一歩となる。