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芝に弾んだボール
ロコモチフモスクワ 6 4-0 0 全広島選抜軍
. 2-0
. (観衆17、000人)
日本代表クラスが集結
1960年代、市民球場でサッカーの試合が行われたことがある。国際試合、日本リーグの東西対抗戦など計5回開催された。その最初の試合がソ連のロコモチフモスクワを招いての日ソ交歓サッカー。市民球場の知られざる1ページである。
「芝で試合ができる。それが本当にうれしかった」。メキシコ五輪の銅メダリストの小城得達・現広島県サッカー協会会長もピッチに立った一人だ。当時、小城さんは広大付高の3年生。チームは、東洋工業(現マツダ)の選手が主体だった。「ほとんどが、日本代表クラスの選手。選ばれただけでも光栄だった」と振り返る。
市民球場でサッカー。小城さんには違和感はなかった。「ほかにナイター施設のあるグラウンドはなかったから」。コートは外野の左翼から右翼にかけて横につくられた。「一部は土にかかっていた。公式のサイズより狭かった」。芝を傷めないように、ラインには包帯が使用されたという。
試合は、前半30分まで0―0。ロコモチフにボールを支配されながら、全広島選抜軍のDF陣が健闘した。しかし、36分に先制点を許すと、流れは一気にロコモチフに。その後は防戦一方となった。小城さんは後半にMFで途中出場。「相手のボールさばきのうまさに驚いた」という。
試合は完敗。それでもスタンドの1万7000人の観衆は惜しみない拍手を送った。「多くの関係者のご尽力と、サッカー王国広島を支えた熱いファンがいなければ、成功しなかったと思う」と小城さん。その7年後に開催された日本リーグ東西対抗戦で、市民球場のサッカーの歴史は、幕を閉じた。(小西晶)